「篆刻(てんこく)」という言葉を知らない人でも､掛け軸や色紙に押された朱色の印影は見たことがあるのではないでしょうか。
少し前から流行している絵手紙に、自分の名を彫った落款(らっかん)印を押している人も多くいらっしゃるようです。
篆刻は、そのような印を石に彫る行為を指す言葉です。現在の漢字のもととなる篆書体の文字を中心に用いるため、この名があります。
書道と彫刻がひとつになった芸術で、実は日本を代表する美術展覧会である通称「日展」の「書」の一分野をも担っています。

「硬い石を彫るなんて、専門家にしかできないのでは…？」と思われがちですが、実は「彫る」作業は、さほど難しい作業ではありません。素材となる中国原産の石は意外と柔らかく、印刀も、彫刻刀ほどの鋭さはなく、怪我の心配も少ないのです。
本当に難しいのは彫る前の準備段階、「印稿」と呼ばれる原稿作りです。また、漢字は年代によって書体が異なるため、複数の参考書で調べ、一つの書体に統一しなければならないのも大変なところです。

文字をどのように入れるか、など、バランスを考えながら、紙にデザインをしていきます。何日も考え続けることもあれば、ある時ふっと浮かぶこともあります。
ひとたび制作にかかると時間を忘れてついつい没頭してしまいます。墨の香りが漂う部屋の中に、紙の上を滑る筆の音や石を削る音だけが静かに響く。このような作業の末、イメージ通りの印影ができた時の喜びは何事にも変えがたいものです。